現代アートの内緒 

アーティストとしてデビューするきっかけは、前にも書きましたが、これと言た定型はありません。何かのチャンスに乗る。というのが普通かも知れません。私の場合もそういった感じでした。
“パープルプローズ“と言う、発行人Elein Fleissと評論家Olivier Zahm、を中心に作られた自主出版のアート雑誌が当時、旋風を引き起こしました。それまでのフランスアート雑誌は、大手から出版される物が殆どで何処か面白みに欠ける物でした。又ちまたの定説では、自主出版はやはりマーケットで大手には勝てない。と言う物でした。
しかし、その定説を覆したのがこの“パープルプローズ”を代表運営するエレーヌでした。
この子、っていったら失礼になるかもですが、正にこの子って感じです。
そのこの子、はフランス最大手の本屋の娘、で小学校しか出ていない!
しかし、そんな事、フランスでは全然関係ない。彼女達の出版する“パープルプローズ”は、まず、美術館、アートセンターの売店で発売され、オシャレの若者や学生に支持され、とうとう街の至る所にあるキオスクなどにも置かれ、しだいに大手雑誌を発行部数で圧巻していきました。では、どの様な内容で構成されていたか?と言うと、ファインアートを軸に音楽、ファッション、サブカルチャー、など現代文化全般をターゲットとしていました。現在の日本の美術館、アートセンターの状況は把握していませんが、フランスでは、一般に美術館、アートセンターがファッショナブルな人達がゆっくり友人と時間を過ごしたり、物事を考えたりする場所としての環境作りもされており、美術館=美術作品を観る。という事だけでは無い感想を持ちました。
そのパープルプローズの仕掛けは、良く考えられた物でした。この雑誌は、これから次の文化を担って行くであろうアーティスト、デザイナー、クリエーターの発掘に焦点を絞っていました。日本の場合、こういう場合、若手と短絡的に決め付ける事が良くありますが、ここでは彼らの視点でそういった偏見や分野の垣根を壊していった事に意義があったと思います。彼らは人の噂を聞き、兎に角、行動し、面白い物の発見の為に出向きました。
彼らは、グルノーブルのボザールにも度々訪れ、その結果、私はこの雑誌に2回程、取り上げられました。そのお陰で“パープルプローズ“の企画した、フランスのギャラリーの中でも最大手のGalerie Thaddaeus Ropac(タデウス ロパック ギャラリー)の知っている人は通と思われる位、ブレイクした”June“に参加しました。この”June“の功績は大きく、その後のアートの展示の方法を決定した物となりました。
ここでは、お伝えしない方が良いと思いますが、私は、この展覧会で“ちょっとした事”をやっちゃったのです。
そのオープンイングの日“ちょっとした事”はここの青年の様なオーナー、タデウス ロッパクをパニックに陥れ、彼は興奮のあまり、あらゆるTV局、友人、お客さんにTELを入れロンドン、オーストリアからすぐに飛行機で飛んで来た人もいました。
この様な経過で私の場合、ステップを上る事ができたのですが、この”June“には、“パープルプローズ”が押すアーティスト、デザイナーが輩出されました。アーティストは元より、写真家のヴォルフガング・ティルマンス、ファッションデザイナー マルタン・マルジェラなどもこの展覧会を契機に大きく出ていきました。この時の私の作品はティルマンが沢山撮ってくれています。
日本を含む、大手雑誌社の評論家がわざわざ、何時間も掛けて地方の美術学校に面白い物は無いか?と動き回る事は皆無に等しいと思いますので、私はこの様な時期、この様なフランス美術界の動きのタイミングに合った事が、私がフランスのアート界に出る事が出来た最たる要因だったと思います。
しかし、ここにも、このムーブメントを陰で支えていた存在がいました。ジョンルークです。
ここでも彼はだまって、ニヤニヤと見て企画の為の企画を遣っていました。
表だけを見ては物事を把握出来ない。と言う事が良くあります。”June”の成功を見た彼はもう次の事を考えていた様です。

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