あなたは、アーティストを作るアーティスト

グルノーブルはアルプスに囲まれた風光明媚な街ですが、高さ3000メートルのアルプスの壁が他界との会話を拒絶している様に重く圧し掛かってきます。その壁が一箇所、突然、不自然に切れた所があり、如何にもその隙間だけがパリへ繋がるここからの脱出ルートと言っている様に、何時もそこから光がさしています。
朝、寝ぼけ眼で山々を見ると、山々の上に空があり、そのさらに上に、白いレース編みの様な白い雪を被った山頂の山々の稜線が見えます。
その白いレース編みは、高さと言うより空の位置と表現した方が適切。 
Made in Japanの頭では、そこは、もう大地と認識されない位置であり、空という領域に属するものなのです。
この錯覚は、10年間、晴れた日は必ず私を襲い、自分自身の物の見方に対しての反省を物静かに促してくれました。
これと似た感覚を覚える物があります。
それがジョンルークの存在でした、もしかしたら彼は途轍もなく大きく、あのアルプスの様に、私達からは目の前に居る彼以外に、アルプス上空にある白いレース編みの稜線の存在位置の様に、何処か人間の歴史経験によって蓄積されたDNAの情報では捕らえきれない位置にも彼の存在がある。そういった錯覚を彼自身の存在から感じ取られます。
良くアート作品とアーティストの関係についての論議があります。アート作品は、それ自体が独自性を持ち、アート作品=アーティストではない。
私も同感です。
アート作品はアーティストと観客の間に、に新たに作られた存在で、その存在がアーティストと観客の感覚のコミュニケーションの作用を働きかける。観客にとって良い作品とは、観客が作品に共感する事により、アーティストとも共感を共有する。そういった作用が働き、アート作品が魅力的な物となる。
ではアーティストとは何なのでしょうか?
アート作品だけ有名でアーティストは有名でない。という事はあまり有りませんよね。
観客は作品を通してそのアーティストと共感したのですから、その発信元のアーティストの事を知りたい。というのはごく自然な事だと思います。
しかし、そのアーティストはアート作品では有りません。
アート作品は共感と言う物を得るためにだけ機能を特化した物であり、アーティストはそれを創造した人間と言う機能を持つ生物で、アーティストと言う存在からは共感を得る事は出来ません。
そう、アーティストは作品を作りましたが、そこで共感を共にしたあなたは、共感を共有したもう一方のアーティスト像をあなたが作り出したのです。
あなたが作った作品がアーティストなのです。
しかし、その人間としてのアーティストとあなたの作ったアーティストでは、おのずとかすかなずれを生じます。
その摩訶不思議なずれが、得体の知れないアーティストの魅力となるのです。
多分、私がジョンルークを見る時、生物としてのジョンルークと私の作ったジョンルークで微妙な差を生じ、生物としてのジョンルークの上空にうっすら見える白いレース編みの稜線を伴った途轍もなく大きく不思議な存在として見えるのだと思います。
この場合、どちらのジョンルークもジョンルークなのです。
アルプスの山々の上の空に又、白いレース編みのアルプスがあるように。

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