発狂するキッチン

フランスは何処の街へ行っても、その美しい町並みにロマンティックな世界へ引き込まれます。
しかし、そこに住んで見ると表通りからは見えない生活観溢れる中庭を見る事が出来ます。
フランスの道はアベニューや小道のルーで構成され住居群は中庭を中心に口状になっている事が一般です。
通りに面した表には、応接室などがあり、中庭側にはキッチンなどがあるのが普通です。又、通りに面した表には洗濯物を干してはいけない。と言う法律がありますので、とても整理された美しい町並みを演出する事が可能な訳です。
対照的にキッチンのある中庭側は殆ど野放しで、2百年、3百年の垢をそのままの状態にしていますので、どす黒く、又各々の家には洗濯物が干された統一性の無い、ともすればスラムと言っても良い様な物が多くあります。
この様に表、裏を使い分けるフランス国民は、表ではフランス印象画の絵画の中の登場人物を演出し、裏ではそういったストレスを吐き出す場として中庭を利用している様にも思えます。
と同時にこの仕組みはアートを制作、発表する上でも同じ様な機能をしていまして、裏庭側のキッチンの様に自分自身のすべてを吐き出し、その中から構成をしてアート作品という表通りの顔になって行く。という具合です。
私は日本のアートとフランスのアートと比べて日常のこうした物から来る習慣とも言えるべき物の影響は多大であると思っています。
日本は町並みの美しさを演出する為の個々の家、表裏などを気にしていない人が殆どではないか?と思います。それよりも個人がどの様に着飾るか、個人の家が見栄えが良いか、住み心地が良いか、と言った方に関心があるのだと思います。又個々の家を見てもキッチンの裏窓から見える風景も玄関から見える風景もとても綺麗で整然とした物が多く、フランスの中庭に面したキッチンの様な何でも吐き出される空間が有る事は少ないと思います。
フランスでは、中庭に面したキッチンで自分自身の全てを吐き出し、個人を見つめ、個人を表現、構築して、フランス社会と個人の接点となっている表通り側に移動、再考察する。という一連の機能を持っていると思います。
日本のアート作品を見て多くの場合感じる事は、自分はどの様な事を言いたい。と言うメッセージ的な物が多いのですが、それが旨く観客に伝わっていない事が多いと思います。
そういった事も、この様な日常生活から来る習慣とも言える物の影響も大だと思っています。
これは、日本で自殺者が多い、と言う事にも繋がると思いますが、自分又は家族が個を吐き出される空間、個人と社会との接点の空間と言う物をもっとはっきりと持つべきでは無いでしょうか?日本の公共物の建築は有名で多くの有名建築家を輩出していますが、個々の家、又は都市計画などは貧弱な物となっていると思います。
デザインで美しいだけの時代は終わったと思っていますが、個人の家で個人又は家族が個をさらけ出し、発狂出来る場を是非とも作って欲しいと思っています。
日本では表裏は良く無い。と言う感じはありますが、裏のまま個をさらけ出し町中で発狂しても社会の安定、成立は難しいと思っています。
又、表の顔だけでは個を殺し、ストレスを発散出来ず、今の日本の様に多くの自殺者を生む社会となると思います。
アート作品も同じと思います、もっと発狂して個を曝け出す場が必要であり、それを精査し社会との接点を見つける場、そして社会の中のアートとして発表する場、と言う風にめりはりの付いた場、又は意識が必要だと思います。
何度も言う様ですが、アートは感覚のコミュニケーションであり、日本語の共感です。
ですので、結果論から言うと自分が何を言いたい。と言うのは成功しない確立も高く、作者の思っても見なかった事で共感を呼ぶ事もしばしあるのです。
私のアパートは一般のアパートと違って、それをさらに小さく分けた、ストゥーディオと言うワンルームタイプの部屋だったのですが、私の部屋はこの発狂出来る中庭側でした。
毎日毎日、窓から見える風景はどす黒く、アンバランスに掛けられた色とりどり洗濯物と時々起こる喧嘩の声は正に、バンコクのスラムその物でした。
窓からは手の届く所位に斜め向かいのアパートの人の洗濯物があり、そこには高校生位の女学生の居る家族が住んでいました。冬は窓が普段、閉まっていますので、音は聞こえないのですが、夏になるとどの家も窓を開放しっぱなしなので、中庭に木霊して時にはうるさい位の声で喧嘩していました。ある日、喧嘩の声がうるさいので、窓の方に行きそちらを見ると、私の所の窓から約2メートル位の所で真っ裸の、その女子高生が中に居る親と喧嘩しているでは!どうも母親は娘の素行について怒っている様なのですが、その怒られている娘が裸、でもその子が裸でベランダに居る、と言う事については何も言っていない様子。
私は裸の女子高生が私の所の窓の直ぐ横に居るとは思いもよらず、勢いよく窓に行きましたので、その子にこちらを見られてしまい、わ!どうしようこの場。。と焦っていると、この子、普通に
“ボンジュール!”
私も“ボンジュール”
直ぐに部屋に戻るのもカッコ悪いので、平静を装い何気なく外に居る鳩にその辺にあるパンくずを与えて居ました。片方、真っ裸の喧嘩はまだ続いています。
そろそろ、いいタイミングと思い窓から引き下がろうとした時、
彼女が“ミニヨン!“(可愛いね!)
これは鳩の事を言っているのか?それとも私?
フランスでは良くこの様に掛け言葉を多様して恋愛を楽しみます。
で私は“ウイ”(そうね)とだけ言って、このくそ暑いのに窓を不自然に閉めて窓から遠ざかりました。
その裸の女子高生の喧嘩は私に共感を呼びました。それを彼女は知っていたでしょうか?

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